残したいもの

昨日ふと、「後世に残したいものは何なのか」と思いました。 ただ漠然とです。 仕事においてとか、自分がなのか、みんなでなのかとか、そのようなことは考えずにです。

無いと困るものは何なのか? 知恵にしても物にしても次々と新しいものが出て来ます。 
無いよりあった方が良いと思うと全てがそれになります。しかし全てを残すのは理論上不可能です。 その一方で古い物は徐々に忘れられて行きます。 例えば最新の炊飯器の操作を知っていても、もし炊飯器がなくなったらどうするのかとか、ある製品を作るにもその制作機械を作れる人がいなくなったらどうするのかとかです。 

便利な物や知恵をみんなが使えるというのは一見良いように思えます。しかし物が溢れて、それらを作ったり、お金で得たりすることに人は時間の大半を費やして、本当に必要なものが何なのかが判りにくくなっていると思います。 肩が凝ります。 私が就職して自分で生活するようになったとき、自分の部屋にはボストンバック一つ分の衣類と会社に行くための背広、そして布団以外は何もありませんでした。また周りの仲間も同じようでした。 これでは寂しいのでTVを買って来ました。 実家においてきた本や趣味の道具もそのうちに持って来ました。 欲しい物はお金で買って手に入れました。 人から「要らなくなったから要る?」と貰う場合も、またその逆もあります。そして、気がついたら置き場に困るほどです。 今では物を捨てるにも昔よりお金がかかるようになっています。 何も無かった頃、何も困らなかったのに、今では何故物の置き場所や整理に困っているのだろうと思うと滑稽やら悲しいやらで複雑な気持ちです。 

深刻な問題を抱えている場合は、「何を馬鹿なことをそれどころではないのだ」ということになりましょう。それでも「物や情報に溢れた中に居ると忘れがちなもの」というのは何やら大切なもののように思いました。

ビジネス書などでは、「何でもとっておかないで、どんどん捨てて身のまわりをいつも奇麗にしておくことが秘訣!」などと上手く説かれています。 それはそのとおりですね。しかし物が有り過ぎなことの問題はどこにいったのか? そのビジネスは物を世に溢れさせているのではないのか?とも思うようになってきました。 あれ、もしかすると何千冊と出回っているビジネス書の著者たちはビジネスの仕方を解説しつつも、ビジネスそのものを考え直すことを示唆しているのか?とも思います。 大胆な著者(学者さんなどに多いですね)は自分が生まれる前の昔から「金融社会」そのものに問題ありとも言っておられます。 賛否は別にしてとても勇気のある記載だと思います。「金融社会」が無ければ良いということではなく、それに変わる良い仕組みが仮にあったとしてもそれが完璧な仕組みだとは言えませんので、重要なのは方法ではなく「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということだと思います。

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