塞翁失马焉知非福 (人間の万事は塞翁が馬の如く)

私の経験上 どのような人であれ、
多くの人 の 能力 というのは 大差 が ない。
また 同時に 得手・不得手 は 人それぞれ である。

1)ある人は 能力 は あるが
未経験 であるが為に 考慮 が
足りていないだけ、気づいていないだけ。

2)ある人は 能力 も 経験 も あり
実は 足りていない、気づいていない 
のは その人ではなく、自分のほう。



このようなことは、若手、熟練、自他、に関わらず 永遠に存在する
至極当然 の ことだ。

どちらの場合 で あっても 恥じる必要 はない。
全く同じ経験を持つ人 は 存在しない。

ところが、
何故 この人は こんなことも
知らないのだろう とか、
何故 この人は こんなに説明しても
分かってくれないのだろう 
(考えが異なるのだろう) と、
怒ったり、 嘲笑ったり、
する人が 少なくない。
私自身 も そのようなことはある。
これは往々にして 2) の場合だ。
反省しよう。

もちろん、度が過ぎており
多くに迷惑がかかるような場合は
叱ってやることも必要だ。

そう考えると、
例えば 採用面接 の
面接官 は
相手 の 未知 の 部分 を
気づかせて あげる、
気づき を 誘発する、
絶好の機会 で ある。

何故なら、相手 の 考え や 得手不得手 を 確認するということは、
相手 の 未知の部分 を 確認すること にも 成っている からだ。

同時に、面接官 に とっても
採用応募者 から 
新しい 情報 を 得る 
絶好の機会 だ。

採用基準を満たしているか を 確認することは、むしろ 重要ではない かも知れない。

面接して、相手の採用判定のための情報を得るだけ に なっていないだろうか。

この好機に 互いに成長を助長し合う という ような ことを織り込んでおかないのは大変に勿体ないことだ。

今週 は 特に そう感じる 場面(採用面接ではないが、これは好機だな、とか 好機が活かされた、と 思う会議など) が 職場 でも 職場以外の場 でも 多くあった。




2022年頃 から 在宅勤務 の
普及が 進むなどして 人と人の
やりとりが減り、
従来は無意識に出来ていたことが
知らず知らずのうちに欠落していった。
多くの人が そう感じている。

すると、その欠落した部分の中に
大事なことがあることを
誰もが 発見し易く 成った。 

良いことだと思う。





















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